10年後に主幹となるメディアは,もうすでに表れている。ここ,に,ある。
quote:高速化された情報ネットワークは,パソコンだけでなくあらゆる高度化する機器を接続し,ネットワーク周辺にいる人々に大きな可能性をもたらす。ファイル共有の重要性は著作権侵害ではなく,普通の人々が互いに情報を交換し,助け合えると云うことだ。あらゆるメディアはパケットに収められ,世界中を移動するようになる。多くの人の生活が改善される一方,古いビジネスが廃れることになる。今回のコラムは,マーキュリー・ニュースでわたしが書く最後のコラムだ。あしたからは,オンラインの草の根ジャーナリズムを広げる企画へと乗り出す。
「○対×」という思考をしたいのなら,新聞で十分だ。米国はよいか悪いか,小泉首相はよいか悪いか,巨人はよいか悪いか,新成人はよいか悪いか,などなど。どのニュースを扱い,どのニュースを扱わないか,どのような見出しをつけるか,社説などでどう扱うか,によって,○と×のどちらを選ぶべきかを勝手に決めてくれる。いや,新聞だけに限ることはない。世にある出版物もテレビも企業ニュースサイトも,その勝手に決めつける作業を行うことで地位を確立している。それが,ジャーナリズムと呼ばれるものだった。だが現在,ウェブをたくさんみている人たち,ブログにたくさん目を通している人たちは,そんなジャーナリズムにとらわれてはいけないことを知っている。
そんなジャーナリズムはひとつの意見でしかなく,大概の場合,ほかにもっと知るべき意見や見解がある。わたしは戦争はあまり好きな方ではないが,新聞で支持している戦争よりはウェブで支持されている戦争の方が,より真っ当だと感じられることが多いだろう。新聞やテレビなどで述べられている意見は,あるブログのエントリーのちょっと下あたりの存在で十分だ。わたしも大好きだったダン・ギルモア氏のコラムは今回で終わり,ギルモアはサンノゼ・マーキュリー・ニュース社を退社して,ユーザー参加型のジャーナリズムのプロジェクトに参加する。楽しみにしたい(ダン・ギルモア氏のサイト)。
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